大判例

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名古屋地方裁判所 昭和43年(ワ)101号 判決

原告

加藤剛

右訴訟代理人

小栗孝夫

外一名

被告

中部日本放送株式会社

右代表者

小島源作

右訴訟代理人

浦部全徳

外五名

主文

一、原告が被告に対し、雇用契約上の権利を有することを確認する。

二、被告は原告に対し金九、四六八、九七七円および内金二、六一七、三八二円に対し昭和四三年一月二三日から、内金六、八五一、五九五円に対し、昭和四七年五月一一日からそれぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三、原告のその余の請求はこれを棄却する。

四、訴訟費用は、被告の負担とする。

五、この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立

一、原告

「主文第一項同旨ならびに被告は、原告に対し、九、五一九、六七七円および内金二、六一七、三八二円に対し昭和四三年一月二三日から、内金六、九〇二、二九五円に対し昭和四七年五月一一日からそれぞれその支払の済むまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および金員の支払を求める部分につき仮執行の宣言。

二、被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二、原告の請求原因

一、被告は、放送法による一般放送事業者の放送事業およびこれに関連附帯する業務を営む株式会社であり、原告は、昭和三二年四月一五日被告に入社し、当初は、編成局報道部に、同年一〇月一六日より同部ラジオニュース課に、昭和三六年六月一日よりラジオ局報道部ニュース課に、昭和三八年八月一六日より後記訴外組合専従役員として一年間休職し、昭和三九年八月一六日より報道局ラジオ報道部にそれぞれ所属した。

ついで被告は、昭和四〇年四月一日付で原告をテレビジョン局営業本部営業部へ配置換(以下「本件配転」という。)した。

二、一方、原告は、被告の従業員のうち約五〇〇名で組織する訴外中部日本放送労働組合(以下「訴外組合」という。)に所属し、昭和三七年八月より執行委員(法規対策部長)、昭和三八年七月より書記長(専従)、昭和三九年九月より訴外組合の上部団体である民間放送労働組合連合会(以下「民放労連」という。)の地域組織である東海地方連合会(以下「東海地連」という。)の書記次長となり、昭和四〇年七月当時も右役職にあつた。

三、被告は、昭和四〇年七月七日原告に対し、就業規則六八条六〇条に基づき原告を懲戒解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)をした。〈後略〉

理由

一、被告が原告主張のとおり放送事業等を営む株式会社であること、原告が、昭和三二年四月一五日被告に入社してから、昭和四〇年七月に至るまでの職場歴が原告主張のとおりであること、原告は、訴外組合に所属し、その主張のとおりの役職を歴任したこと、(但し民放労連東海地連の役職は除く)、原告が昭和四〇年四月一日付で被告放送局ラジオ報道部からテレビ局業務本部営業部へ本件配転を命ぜられたこと、および被告は、昭和四〇年七月七日原告に対し、原告主張のとおりの就業規則条項を適用して、本件解雇の意思表示をなしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

よつて、以下本件解雇の効力について判断する。

二、(労使関係の推移)

〈証拠〉によれば次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  被告と訴外組合との労使関係は、昭和三五年までは比較的平穏であつたが、昭和三五年八月の役員選挙で大西五郎を執行委員長とする執行部が選出されてからは訴外組合は、労働条件改善のため活溌な組合活動を展開した。そして、被告の子会社である株式会社CBCサービスステイションが昭和三七年五月一〇数名の従業員を解雇した際、訴外組合は、右サービスステイションの労働組合を支援し、かつ東海地方の民放労連さん下の労働組合をもつて組織している東海地連と共闘を組み右解雇撤回のスト権を確立した。その結果右解雇は撤回され、右従業員は、被告の従業員として新たに就職するに至つた。

他方、被告は、昭和三七年六月課長代理制度を新設し、翌三八年の団交において訴外組合に対し議長代理(当時三四名)を非組合員とすることを提案したが、訴外組合はこれを組合弱体化対策であるとして反対し、また被告が同年一一月合理化のための機構改革を進めるに従い、訴外組合はこれに反対し被告と激しく対立した。

かくて被告の当時の副社長小島源作は同月一一日の部課長会議において民放労連の運動方針が政治性の強いことおよび訴外組合の合理化反対闘争を批判し、組合が労使共存の形になることを望んでいる旨の発言をなし、右発言要旨は被告発行の同年一二月一日付社報に掲載されたため、訴外組合はこれを自己に対する攻撃と受取り抗議した。

また従来訴外組合の組合員であつた課長代理四〇名が、被告の組合脱退勧告に従い昭和三九年四月に三九名、同年六月に一名と全員訴外組合を脱退するに至つた。

(二)  このような労使間の対立は訴外組合の昭和三九年一月から二月にかけての労働協約改訂交渉をめぐつて一層激しくなり、特に被告が同年三月CBC合唱団員五名の再契約を拒否したことから訴外組合の同年の春闘要求ともからんで労使の対立はその度を加えた。

訴外組合の右労働協約改訂要求は、会社の解散、合併その他機構改変等につき組合との事前協議制のほか、人事同意条項、就業時間中の組合活動の自由、その他各種の労働条件の改善を求めるものであり、経営権、人事権、施設管理権等は使用者固有の権利であるとする被告の見解と根本的に相容れない条項を含んでいたため、被告と訴外組合との右労働協約改訂交渉は遂に決裂し、昭和二八年に締結されて以来部分的修正を経たのみで継続して更新されて来た右労働協約は有効期限である同年三月三一日の経過により失効し、無協約状態となつた(三月三一日の経過により昭和二八年以来継続して更新されてきた労働協約が失効し、無協約状態となつたことは当事者間に争いがない。)。

被告は、翌四月一日付で社長名をもつて「告」と題する書面を社内に掲示するとともに、同一内容の書面を全従業員に配付した。

右書面の要旨は、「労働協約が失効したことは遺憾にたえないが、会社は、労働協約失効後も、近代前労使関係の維持発展と放送事業の社会的使命のため労使相携え、邁進する決意である。しかし、協約が失効した以上従来と異なる措置をとらざるをえないことは必然であり、従業員はこの点を充分認識し、業務遂行に万全を期すよう望む。」というものであつた。

かくして、被告は同年四月一日以降従来行なつていた組合費のチエックオフを廃止し、被告構内における就業時間中の組合活動を認めず、年一回の定期大会以外には訴外組合が被告の施設を使用することを認めない旨表明するに至つた。

被告のかかる態度に対し、訴外組合は、昭和三九年の春闘においてストや抗議集会をもつて抗議し、他方被告は訴外組合に対し、右集会が被告の施設の無許可利用であるのでその責任を追及する旨の文書通告を数十回に亘りなした。

このように労使で激しく対立した同年の年の春闘も、同年六月二三日春闘期間中の訴外組合の行為に対する責任不追及、賃金増額の四月実施を条件に妥結され、同時に後に詳述する施設協定が締結された(春闘が妥結し、施設協定が締結されたことは当事者間に争いがない。)。

(三)(1)  訴外組合は、昭和四〇年二月一六日被告に対し、同年四月一日以降本給を一率八、〇〇〇円増額すること等を含む春闘要求書を提出し(この事実は当事者間に争いがない。)、右要求に対し三月一日までに団体交渉を開くよう要求し、ついで二月二五日付で住宅手当を新設し一律三、〇〇〇円支給すること等の追加要求書を提出し、三月一一日には、同月二〇日までに団体交渉を開き回答することを条件として合計七一項目にわたる日常勤務改善要求書を提出した(訴外組合が前記各要求書を被告に提出したことは当事者間に争いがない。)。

(2)  ところが前記のとおり当時無協約状態であつたため労使双方に団体交渉方式をめぐつて争いが生じた。被告は、賃金、日常勤務の各要求項目別に、団交協定書を作成すること、団交は、団交議題を特定し、交渉委員は各議題別に労使各一八名以内に制限したいと提案したが、訴外組合は交渉委員数の制限を不当なりとしてこれを拒否した。そこで団交方式をめぐる両者の対立は仲々解決されず、加えて被告が団体交渉方式の確立が春闘要求の検討より先決だと主張したため、右春闘要求については十分な団体交渉が行なわれなかつた(昭和三六年度の協約では団交の交渉委員は労使各七名と規定され、昭和三八年度の協約では、労使一三名と規定され、いずれの協約も交渉委員以外のものが団交の席に立入つたときは団交を打ち切ることができる旨規定されていた。)。そこで訴外組合は、これは団交拒否であるとして三月一六日団交拒否反対スト権、同月二二日賃金増額等スト権、および後記不当配転反対スト権を確立し、同月二五日から五月一〇日にかけて一二回にわたる全面時限ストを、同年四月一七日から五月七日にかけて被告の本社、東京支社、大阪支社の各一部の職場において部分時限ストを、同年四月一日から六日まで原告および訴外遠藤の両名に対し、同月一日から七月三〇日まで訴外広田に、また四月一九日から六月二六日にかけて一五回に亘り原告および訴外遠藤を含む一部の組合員(延べ人員二一八名)に対し、それぞれ指名ストを行なわせ、訴外組合の右ストは約三カ月間に亘り全面時限スト一七波、部分時限スト(指名ストを含む)六〇波合計七〇余波に及んだ(スト権は前記の外に四月一九日日常勤務要求スト権を確立し、合計九項目のスト権が立てられていた。)。

また右ストと平行して、訴外組合は、組合員に対し、同年三月二五日以降は腕章着用を、四月六日以降はリボンの着用を、六月一日以降は腕章、リボンに代えてワッペンの着用を指令し、また主にスト中の組合員に赤または白鉢巻の着用を指令した。

(3)  被告は、訴外組合の前記各要求について検討したが、右各要求は、賃金等については実質一人当り一五、〇〇〇円以上の増額要求であり、日常勤務諸要求も冷暖房施設の改善要求は約一億円の巨費を要するなど相当過大な内容を含んでいた。

そして前記のとおり団交方式をめぐつて労使の意見が対立していたため、被告は、実質的な団交を経ないまま、四月一二日に一人平均三六二四円の本給増額回答をなしたところ、訴外組合は、翌一三日右回答を拒否し、第二次回答を要求した(被告が四月一二日前記の回答をなし、訴外組合が翌一三日右回答を拒否し、第二次回答を要求したことは当事者間に争いがない。)。

同月一四日に至り、ようやく労使間で団体交渉につき、出席人員、議題、委員の権限等を定めた協定書が締結され団体交渉の方式が確立され、被告は、同月二三日日常勤務要求に対する回答を、また同月二六日一人平均三、九二四円の第二次本給増額回答をしたが、訴外組合は翌二七日右第二次回答を拒否し第三次回答を要求し、賃金増額の労使交渉は難航し、五月三一日被告は全従業員に対し、「告」と題する書面を以つて被告としては三次回答を提示する意思もなく、企業経営の実状からして三次回答は出しえない客観的状態にあることを訴えると共に労使互譲の精神に欠ける現組合執行部に対する不信を表明するに至つたが、結局同年六月一四日賃金増額要求は被告の第二次回答により妥結した。

また、日常勤務要求については訴外組合は五月二六日「被告の回答は二項目を除いて全部不満である。新回答を出せ」と要求したが、要求項目が広範囲に亘つて居り、加えて多額な費用を要するため、被告の自動車にクーラーを設備することと、長短勤務制(いわゆる変形労働時間制)の廃止が妥結したのみでその余の殆んどの要求事項は、昭和四一年度への継続議題となつた。

一方、訴外組合は、被告に対し、右春闘要求が解決されていない六月一日夏季手当要求を提出し、同月二九日一人平均一三〇、〇二九円で妥結した。

三、(本件配転を含む昭和四〇年四月一日付配転の経緯)

〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

(一)  被告は、機構改革に伴う定期異動を行なうため、前記春闘期間中である昭和四〇年四月一日付をもつて一三四名(うち管理職六七名、組合員六七名)にのぼる人事異動(この中に本件配転および訴外遠藤、同広田の配転が含まれていたことは当事者間に争いがない。)を実施することを決定し、三月九日と一一日の二回に亘り労使懇談会において訴外組合に対し内示した(右内示の事実は当事者間に争いがない。)。

訴外組合は、同月一七日被告に対し、「配転の拒否と人事異動については、組合と団交を開き話合いがつくまで異動を延期すること、今後の異動については、一カ月以上の事前協議期間を設けて充分本人が了解した上で異動を行なうこと」を要求したが、被告は、人事権は原則として会社固有の権利であり、個々の人事について団体交渉する必要を認めないとして訴外組合の右要求を拒絶した。

そこで訴外組合は、三月二二日不当配転反対スト権を確立し、四月一日午前一〇時から三〇分間の時限ストを行ない、同日原告および訴外遠藤、同広田は配転先への着任を拒否し、訴外組合は右三名に対し前記のとおり指名ストを指令し、原告および訴外遠藤に対し四月一六日から六月二二日まで後記の重鉢巻着用を指令した。

訴外組合は、四月二三日被告に対し、配転に関する公開質問書を提出したところ、被告は同月二六日「会社は放送企業に課せられた社会使命にのつとり、放送企業発展のため、つねに有為な放送人育成を志して人事異動を行つている」旨述べて右質問書に対する回答の必要ない旨を文書通告してきた。

訴外組合は、翌二七日配転問題についての団交申入をしたが、被告により拒否された。

(二)  被告においては、昭和三五年から定期的人事異動が行われており(たとえば昭和三五年四月一日一五八名、昭和三七年六月一日一一七名、昭和三八年一一月一日二六八名)、昭和四〇年四月一日付の配転が特に異例の人事異動であるというわけではなかつた。

そして被告は、前記労使懇談会で配転の内示をした際に訴外組合に対し、今回の異動は、五月二日に発足する東京放送をキー局とするラジオ・ライン・ネットワーク等放送企業の新事態に対処し、人事の刷新、合理化、をはかり、かねて幅広い放送人の育成を目的としてなされるものである旨の説明をした。

(三)  右配転により、原告は、前記のとおり報道局ラジオ報道部からテレビ局業務本部営業部へ、訴外遠藤(昭和三九年八月まで訴外組合の執行委員長、配転当時執行委員)は、テレビジョン局制作本部技術部撮像課から技師長付へ、訴外広田(配転当時訴外組合の組織部長)は、テレビジョン局製作本部進行部から技術局送信技術部鳴海放送所へそれぞれ配転された。

ところで原告の従前の職場であるラジオ報道部のデスク要員は当時九名であり、うち訴外組合の組合員は原告を含め五名いたが前記四月一日の異動により、デスク要員が六名となり、全て課長代理以上の管理権となり、訴外組合の組合員は一人もいなくなつた。また訴外遠藤の配転先である技師長付は他に組合員のいない職場であり、訴外広田の配転先は、名古屋市鳴海区所在の組合員の僅少な放送所であつた。

(四)  そこで、訴外組合は、原告らの配転が、組合役員および活動的組合員の職場からの切り離しを狙つた組織攻撃であるとして話し合いがつくまで異動を延期することおよび事前協議制の実施を要求して団交を申し入れたが、被告は人事権は被告固有の権能であり交渉の余地はないとして団交申入を拒否したので、訴外組合は前記のとおり不当配転反対のスト権を確立したうえ、時限スト、指名スト等を行つた。

なお原告は、昭和三六年八月ラジオ放送部の職場代議員となり、昭和三七年八月には執行委員(法規対策部長)として当時の労働協約改訂交渉の訴外組合側の中心として活躍し、昭和三八年八月には訴外組合の新執行部組成の中心となり自ら書記長(専従)を引受け、昭和三九年九月民放労連東海地連の書記次長となり、本件配転当時も同職にあつた(これより先昭和三七年七月二五日の団体交渉において「会社は組合専従者が復職した場合は原則としてもとの職場に復帰させるよう協力する。」旨の確認がされていたが、原告が昭和三九年七月専従期間を終えるに際し、被告はテレビジョン局進行部への配転を内示したが、訴外組合の反対、各職場での署名運動の結果原告は原職であるラジオ報道部に復帰した。)。

(五)  原告の入社以来の職歴は前記のとおりであり、一貫して報道部門に勤務し、放送記者として稼働し、昭和三六年九月からはデスク業務(放送用ニュースの編輯)に従事していた。放送記者の職務は、ニュースの取材、番組の編輯、ニュースのアナウンス等であり、本件配転に至るまで格別の事故もなく上司から仕事振りにつき注意叱責を受けるということもなかつた。

本件配転先の職場であるテレビ営業部の職務内容は、後記のとおり番組、スポット等をスポンサーにセールスすることにあり、原則として部員は、全員、このような対外的セールス活動に従事することになつていた。

被告が、原告を報道部から営業部に配転した理由は、要するに、当時テレビ営業部から報道経験者一名の転入要請があり、被告は、原告の資質能力が報道部員としては限界に来ており、むしろ営業マンに適しているとの判断に基づくというにあり、当時の報道局長加藤釘一は、原告から本件配転について抗議を受けた際、原告に対し、「新らしい営業活動に有能な人材を求められたので君を選んだ。君は、ねばり強いから営業に向くと思う」と述べた。

しかし、本件配転の具体的な理由について被告が原告ないし訴外組合に説明したようなことは全くなかつた。

ところで昭和三九年三月末で失効した昭和三八年度の労働協約六、七条によれば人事に関する事項は、労使協議会の恣問事項とされており、労使が協議して人事を共同して決定するというわけではなく、ただ異動の対象とされた本人が異議あるときは、組合にその旨申出で、組合がこれを妥当と認めたときは、あらためて労使協議会にはかつたうえ、被告が本人の異議を妥当と認めたときは、本人に不利益を与えないよう措置する旨の定めがあつた。なお当時の被告就業規則一二条には「職員は業務の都合により転勤または職場変更を命ぜられることがある」旨規定されていた。

(六)  本件配転のように報道部門から営業部門に転出を命ぜられた事例は、昭和四〇年四月訴外八木宏二が報道局テレビ報道部からラジオ局業務本部営業部へ、昭和四一年四月に訴外宮本が、東京支社報道部から同支社テレビ営業部業務課へそれぞれ転出し、営業部から報道部内に転出した事例としては、訴外馬島、同能沢の両名が、昭和三三年六月営業局付から編成局報道部ラジオニュース課に、訴外天野が昭和三四年八月経理部予算課から前同様ラジオニュース課にそれぞれ転出した。

右の外報道部門と総務計理部門との間に異動が行われた事例も若干存する。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

四、以上二、三に認定した事実によれば、被告における労使関係は、昭和三五年ごろから次第に対立し、労働協約改訂交渉は、人事同意条項、就業時間中の組合活動等をめぐつて意見が衝突し、遂に昭和三九年三月末を以つて協約が失効し、同年度の春闘、昭和四〇年の春闘と益々労使の対立はその度を強めて行つたこと、このような時期に行われた昭和四〇年四月の異動中本件配転および訴外遠藤、同広田の配転に対し、訴外組合は、これを組織攻撃であるとして被告に対し、はげしく抗議し、かつ配転についての団交拒否をも不当として、不当配転反対スト権を確立した外、折からの春闘要求についてもスト権を確立し、併せて九項目のスト権を立て、全面、部分指名等の各ストやリボン腕章、鉢巻等の服装闘争を行つたことが明らかである。

ところで、訴外組合の立場からすれば、訴外組合の現執行委員で組織部長の要職にある訴外広田が本社から組合員の僅少な放送所へ配転されることは、折から春闘期間中でもあり、訴外組合の各種活動に相当な支障をきたすことは明らかである。

また本件配転についてみれば、労働協約は失効しており、被告の人事権については、前記就業規則一二条の「職員は業務の都合により転勤又は職場の変更を命ぜられることがある」旨の規定を制約する協約等は一切存在しないのであるから、原告ら訴外組合員は労働契約上勤務場所ないし職務内容の変更、指定権を包括的に被告に委ねているもの(但し、そこには自ら合理的な限界が画さるべきことはもちろんである。)と認めるべきであり、そして原告が入社に際し、報道部門の放送記者として職種指定のうち採用されたと認めるに足りる証拠のない以上、本件配転が労働協約に違反するとはいえないし、また配転についての理由の明示がないからとて右配転が無効になるいわれも存しない。

しかし、いかに労働契約上有効な配転であつても、本件配転が、果してどの程度の業務上の必要に基づきなされたものか、被告に組合活動阻害の意図が存したかどうか、存したとすればその程度は業務上の必要性の度合と比較して、どちらが高度かという問題は、配転権の濫用ないし不当労働行為の成否の問題として別途に考究さるべきことがらであることは多言を要しない。

そして、当裁判所は、本件配転の業務上の必要性を否定するわけではないけれども、先に認定した新旧職務内容の比較、原告の旧職務当時の仕事振り等から考えると、原告にとつては自己の全く希望しない異職種えの配転という重大な労働条件の変更を伴なう配転であつて、これと先に認定した原告の組合役員歴特に原告が労働協約改訂交渉にあたり訴外組合の中心的人物として活動したことを考え併せると、本件配転について被告にいわゆる差別待遇の意図が全くなかつたとは断言できず、このことは訴外遠藤の配転についても同様である。

従つて、以上の原告ら三名の配転が差別待遇ないし組合に対する組織攻撃の意図を決定的動機としてなされたかどうかは、しばらく措くとしても、訴外組合がこれら配転についてこれを不当配転と考え、被告に対し各種の抗議手段を以つてその撤回を強く求めたことについては、相当な理由が存するものと認められる。

また、これら組合活動家に対する配転についての団交要求を被告が一切拒否したことは妥当な措置とはいえない。訴外組合が、これら配転を組織攻撃と考え、団交を要求してきたならば、被告としては、十分に団交をつくすべきであり、人事は被告の専権事項であるとして、団交を一切拒否した被告の態度は責めらるべきである。

特に本件配転のように異職種への配転は従来その事例が若干存するとはいえ、本人にとつては、労働条件の重大な変更になることでもあるから、業務上の必要性等について十分に誠意を以つて説明する等の努力をなすべきであつたと考える。

以上の考察からすれば、配転をめぐる前記労使紛争を惹起した原因については被告側に相当の責任があるというべきである。

もつとも昭和四〇年春闘についてのみ言えば、団交方式をめぐる労使紛争や春闘要求の内容に関する労使の見解の対立については、非は寧ろ訴外組合の側に存する。すなわち団交方式について、被告は前記のとおり、協約が存した当時より五名も多い一八名の交渉委員を認めるという提案をしたのに際し、訴外組合は、交渉委員の人数制限は団結権に対する不当な制限なりとして一切認めないという態度で終始抗争したのは、団結権の濫用であるとのそしりを免れないし、春闘要求も、あまりに過大な要求を固執した点については、非難さるべき余地が存するというべきであろう。

よつて進んで本件解雇事由となつた原告の行為につき順次検討する。

五、(リボン、腕章ないし重鉢巻闘争関係)

〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

(一)  原告の本件配転の職場であるテレビジョン局営業本部営業部は、部長、次長各一名、課長二名、職員一〇名(原告を含む)であつた。

職員一〇名の職務内容は、社内業務を主とする営業デスク一名(訴外加藤忠也)を除いてすべて対外的な営業セールス活動であり、原告と同じく昭和四〇年四月一日付配転で営業部へ配属された訴外安田儀太郎のみ、右営業セールスのほか営業デスクを手伝つていた。当時営業部が担当していた顧客は四一〇社余りで、うちスポンサー関係が約三七〇社、広告代理店関係が約四〇社であつた。営業部員はこの四一〇社余りの顧客を絶えず訪問して連絡を保ち、また新たな顧客を開発するなど営業活動を継続しなければならない責務を負つていた。

(二)  原告は、前記のとおり昭和四〇年四月指名ストを終え営業部へ出勤してきた。そこで同部の高橋部長は、日常の営業活動において一番折衡の多い主要な代理店関係者に原告を紹介すべく、同日午後一時ころから各代理店に拶挨廻りに行くよう原告に指示し、当日原告はスポーツシャツ姿であつた営業部員としてのエチケット等について説明し、背広等を自宅から持つて来させて服装を改めさせた。

しかし、原告は、鉢巻を巻き、腕章、リボンを着用していたので高橋部長がはずすよう命じたところ、原告はリボン以外のものの着用は止めた(当時の訴外組合のリボン、腕章等の着用指令においてはテレビ出演者や社外へ出るものは例外的にその取りはずしを許容されていたので、原告がリボンをはずしても組合指令に背反するわけではなかつた。)。右リボンは、幅二糎、長さ一〇糎の黄色の布製で「一方的配転反対、要求貫徹」の文字が印刷されていた。

このリボンは当日の訪問先である電通(被告の全取引の約三割を占める広告代理店)産業通信社の各名古屋支社および三晃社では特に苦情をいわれなかつたが、協同広告においては、加藤支社長に見咎められ、「何んだこれは。こんなものをつけるのはセールスマンのすることではない。訴外組合は行き過ぎであり、同組合のストは大名ストだ。」等訴外組合の活動も含めて語気鋭く非難された(原告が当日リボンをつけて電通および共同広告を訪問したことは当事者間に争いがない。)。

そのため高朝部長は、その場をとりなし、原告とともに早々に同社を辞し、同日予定していたその他の広告代理店への拶挨廻りを中止した。

同部長は帰社途中の車内で原告に対し、「商売の道は決して甘くなく、社会の目は非常に厳しいこと」等を説明して原告の組合活動の自重を要望した。

(三)  しかし、原告は、翌日以降も鉢巻、腕章、リボンの着用を続けたため(原告が四月上旬から五月上旬までの間社内勤務において腕章、リボンを着用していたことは当事者者間に争いがない)、高橋部長は、やむなく予定していた拶挨廻りを中止した。

鉢巻は、表は白地に「CBC労組」と黒地で染められた布製で裏が赤色であり、腕章は、赤地に白文字で「団結CBC労組」と染められていた(後述の重鉢巻闘争においては鉢巻を裏返して使用した。)。

営業部に属する訴外組合の組合員は、従来就業時間中は業務の特殊性から腕章、リボン等の着用指令を受けても着用していなかつたが、別段訴外組合から指令違反として追求を受けるということもなかつた。

(四)  高橋部長は、同年四月一〇日ころから営業部員の訴外沖本定雄(訴外組合員で職場闘争委員)に命じ、原告を同人のセールス活動に同道させ、営業の職務を原告に習得させることにした。

右沖本は、原告に対し、営業セールスをやる場合は腕章やリボンをしていては仕事ができないので腕章、リボンをとつてほしい旨申したところ、原告は右沖本が職場闘争委員であり、組合の組織上は同人が上位者であつたためこれに従い、訴外沖本と共に営業セールスへ行く際は腕章、リボンの着用はやめた。

(五)  訴外組合は闘争時においては、執行委員を中心に構成される闘争委員会が全組合員から交渉権、指令権、妥結権を委任され、また代議員を中心に職場闘争委員が選出され、闘争委員会が重大な決定をする場合は事前に職闘会議の意見をきき、これを参考にしていた。

前記のとおり、訴外組合は、昭和四〇年四月一日付の配転に反対し、団交要求をなし、対抗手段として四月一日から訴外広田、原告、訴外遠藤に指名ストを指令し同月五日原告および訴外遠藤の指名ストを解除したので、それ以降は訴外広田のみが指名ストを継続していた。

ところが同月一五日の職闘会議において被告がいぜんとして配転についての団交拒否をしている現状勢がかんがみ不当配転の当事者である原告および訴外遠藤も訴外広田の指名スト(赤鉢巻着用)に合わせた闘争を抗議手段としてやるべきであるとの意見が出され、同日開かれた闘争委員会において原告および訴外遠藤に対するいわゆる重鉢巻闘争指令が決定された。

重鉢巻闘争とは、普通の鉢巻闘争よりは強力でストライキに次ぐ新たな闘争手段であり、社内、社外を問わない全勤務時間中除外例なしの鉢巻着用闘争である。

(六)  そこで原告が四月一六日重鉢巻闘争指令に従い勤務時間中赤鉢巻を着用していたところ、営業部の須江課長から「鉢巻を取つてセールスに廻るように」指示されたので、原告は右組合指令を示し、右課長の指示に従わなかつたため、同課長は、原告が沖本と共にセールスへ行くのを中止させ、営業デスクの手伝いを命じた。

(七)  その後も原告は依然として勤務中赤鉢巻をしていたが、テレビ営業部にはスポンサーや代理店等顧客の出入もあるので、須江課長は、五月一一日原告に対し鉢巻をはずすよう命じたところ、翌一二日正午過ぎころ、西沢委員長ら訴外組合員が多数営業部デスクへ押しかけ須江課長を取り囲み約二〇分間同課長の右業務命令は不当労働行為である旨非難攻撃した。

また、五月上旬ごろ、株式会社東山会館の広田支配人は須江課長に対し「業務命令に従わないような原告をわが社へ来させては困る。そういう人をわが社へ出入りさせるようなら提供番組を停止する」旨強く要望した。

(八)  原告は、六月二日営業部正木課長の命により、営業関係書類である「ビデオリサーチ」を電通名古屋支社内「ティールーム電通」で商談中の高橋部長に届けたが、正木課長から鉢巻をはずして行くよう命じられたにもかかわらず、原告は赤鉢巻をつけたままの服装で赴いたため、右部長および同席していた電通関係者は鉢巻を取るよう説得したが、原告は組合の指令を理由にこれに従わなかつた(原告が「テイールーム電通」にいる高橋部長のもとへ鉢巻を着用したまま書類を持参したことは当事者間に争いがない。)。

(九)  被告は、六月八日に代表者名を以つて全従業員に対し、「従業員が就業中に労働組合の鉢巻、腕章、リボン、ワッペン等を着用して執務している場合、その行為が会社業務遂行に支障を来たすと会社が判断したとき、会社は着用を撤去するよう命令する。その命令に服しない場合は職員就業規則によつて措置する。」旨記載した「告」と題する文書を配布し、かつ着用撤去命令が出される場合の具体的基準について大要次のとおりの方針を定めこれを役職者等に示違した。「業務遂行に支障があると認められる場合とは労使関係に関係を有しない第三者に接触して業務を遂行する責務を有する者がその業務を遂行しているときがこれに該当する。具体的には、テレビに出演するとき、公開番組の現場で一般大象と接触する勤務をするとき、製作番組で出演者の面前で勤務するとき、スポンサー、代理店の面前で勤務するとき、客の送迎、受付、案内、接待、折衝にあたるとき、社外で顧客代理店と折衝するとき、出張、取材に赴くとき」

訴外組合は、被告の右「告」と題する文書を組合活動に対する支配介入なりとして抗議し、同月一四日ごろ右文書一二八名分を氏名欄を切りとつて被告に突返したりした。

(一〇)  原告は、同月一一日高橋部長から業務用書類の逓送、返書の受領を命ぜられ、電通および産業通信社の各名古屋支社に赴いたが、その際同部長から鉢巻等は着用しないよう注意されたが、鉢巻を着用して赴いたため、同日夕刻電通の町田支配人や産業通信社の伊藤専務から、それぞれ高橋部長に対し原告の態度につき「組合運動を対外的な営業活動に持ち込まれては困る」等の苦情、非難の電話がなされた(原告が高橋部長の命令により右二カ所へ書類を届けたこと、その際原告は鉢巻を着用していたことは当事者間に争いがない。)。

即ち、電通においては、折から居合せた民放各社の支局長ら数名が原告の赤鉢巻姿に驚いている中で前記町田支配人は、原告に対し、「どういう事情が知らないが、鉢巻をしめてここへ入つてきては、困る。第一失礼ではないか」と詰問したので、原告は、訴外組合が四月一日付の配転に反対して重鉢巻闘争指令を発している旨説明したが、町田支配人は、「事情はともかく鉢巻をしている人と正式に応待するわけにはいかないから、封書も受取れない。」と言つて書類の受領を拒絶したので、原告はやむなく、鉢巻をとり、書類を町田支配人に手渡し、返書を受取り、業務目的をはたした(右町田支配人宛の被告の書類およびその返書の中味は、いずれも便箋用紙一枚が使用され、主要代理店の月別の民放各局の広告取扱量の資料が記入されていた外に、顧客のゴルフのハンディ等も記載されていた。)。

なお原告はその直後闘争委員会に連絡し鉢巻取りはずしのてんまつを報告し諒承を得た。

次に産業通信社においては、原告は、前記伊藤専務に対し訴外組合が四月一日付の配転に反対して重鉢巻闘争指令を発している旨およびどうしても鉢巻を取らなければならないなら取つてもよい旨述べたところ、右専務は、気にしなくてもよいと言い、絶対に取らなければならないとか、怒鳴りつけるとかはしなかつたので、鉢巻着用のまま書類を渡し、帰社した。

そこで、高橋部長は、翌九日両社を訪問して陳謝し、その後産業通信社に対しては中村常務、小島副社長が、主な名古屋のスポンサーには右常務および井串局長がそれぞれ釈明した。

なお、電通名古屋支社から被告に対し、六月二一日付で、原告が鉢巻姿で来社したことは常軌を逸した行動であり、当社の服務規律維持のためにも迷惑であるから、原告に対し厳重な戒告をするようにとの抗議の書面が送られて来た。

(一一)  六月中旬ごろ被告の広告放送のスポンサーである寿がき屋の管木社長が来社した際、原告が赤鉢巻を着用したまま執務しているのを見て、右管木社長は、高橋部長に対し、「会社の業務命令に従わないことが許容されているようではいつ広告の秘密がライバル会社にもれるかも知れず、秘密なことの多い広告を安心してまかせられない。このような状況では、取引をやめるかも知れない。」と強く非難した。

(一二)  原告は、六月一八日大協営業部次長の命により大広名古屋支社へ業務上の書類逓送のため赴いたが、その際も赤鉢巻を着用していた(原告が大広名古屋支社へ鉢巻を着用して書類逓送のため赴いたことは当事者間に争がない。)。原告は、同会社の田島次長に対し鉢巻は労働組合の闘争指令でつけていなければならない旨説明したが田島次長が「組合と私とは関係がない。そういう失礼な服装の人はここへ入つてもらつては困る。玄関から鉢巻をとつて入り直してもらわなければ封書を受け取れない」旨強硬に言うので原告は玄関に戻り鉢巻をとり、同次長に封書を手渡して業務目的を果したがこのことにつき同次長から電話で高橋部長に対し厳重な抗議がなされた。〈証拠判断省略〉

以上に認定した事実によれば、原告は、服装についての上司の注意、制止に従わずに、被告主張の各日時にリボン着用のまま拶挨廻り、あるいは赤鉢巻着用のまま書類逓送のため被告主張の各取引先に赴いたこと、リボン、腕章着用の組合指令は社外に出るときはその取りはずしを許容していたこと、赤鉢巻着用は、四月一五日付の訴外組合の重鉢巻闘争指令に基づくものであること、そのため原告は二、三の取引先から「異様な服装であり礼を失している。組合活動を取引の場に持ち込むな。」等の抗議、非難を受け、この抗議、非難は原告のみではなく、被告の営業部長、代表者等にも電話、文書等により再三なされたこと、そのため被告は、手分けしてこれら取引先に陳情陳謝に赴いたこと、被告は、六月八日付の社長告示を以つて全従業員に対し前記のとおり、鉢巻等の着用が被告の業務遂行に支障を来たすと判断したときは、その撤去を命令し、この命令に従わないものは就業規則によつて措置する旨を告示し、かつ、その具体的基準を定め、これを役職者に示達したこと、原告は四月上旬ごろより五月上旬ごろに亘り上司の注意制止にかかわらず、社内勤務においてもリボン、腕章、鉢巻を六月一日以降は鉢巻をそれぞれ着用していたこと、以上の事実が明らかである。

七、(名誉毀損関係)

〈証拠〉によれば次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  原告は、前記のとおり、六月八日付の代表者の告示後においてもいぜんとして勤務時間中鉢巻等の着用を続けていたので、翌九日高橋部長は、原告に対し右告示の趣旨に従い鉢巻等を取りはずすよう注意したところ、原告は、同部長の右発言は不当労働行為にあたると抗議し、「六月九日午後四時五分、私は加藤剛君に対し、次の命令を発した。就業時間中代理店等外部からの来客と直接対人接渉する場合には、たとえ社内にあつても、鉢巻、腕章、ワッペンをはずせ。以上、右証言する。」と書いたわら半紙か便箋一枚位の大きさの文書に署名捺印するよう同部長に求めたところ、同部長はこれを拒否した。そこで原告は、赤のマジックペンで右文書の右側余白に「不当労働行為罪状証明」、左側の余白に「TV営業部長サイン拒否」と書き加え、自己の業務机の上のガラス板の下に右文書を挿入した(以上の事実は余白部分の記載文言を除いて当事者間に争いがない。)。

(二)  訴外組合は、昭和三九年に不当労働行為がなされた場合にはそのことをメモして当該不当労働行為をなした管理職のサインをもらうというメモ活動を採用しており、昭和四〇年はメモ活動は正式には決定されず、単に不当労働行為に対し抗議するよう指令していた。

(三)  高橋部長は、前記原告の行為について抗議し、実力で排除すれば却つて紛糾すると考え、人事部長にその旨を報告したのみで見過し、被告も、同月二九日原告の文書の表示状況について写真をとつたのみで格別の措置は講じなかつた。

原告の前記業務机は、間仕切りのない大部屋の営業部室内にあるため、一日平均数十人のスポンサーや代理店の来客があり、そのため、右文書は多くの来訪者の目にとまり、来訪者の中には原告の行動を心よく思わないものもあつた。六月中旬ごろ産業通信社の名古屋支社次長は、右文書を見て非常識な文書である旨営業部員の沖本に警告した。

八、(無許可施設利用関係)

〈証拠〉によれば次の事実が認められる。

(一)  前記のとおり訴外組合と被告との間に昭和三九年六月二三日施設協定(有効期間一年)が締結されたが、同協定の第二条は訴外組合の会社施設利用が原則として許可制である旨規定し、同三条は、「組合が争議行為に入つた場合は会社は組合が会社の施設を使用することを認めない。但し、本社六階の第三集会室、本社屋上の一部一定部分、本社屋内の一部の指定通路に原則として限定して会社の使用予定がない限りその使用を認める。」旨規定されていた。

(二)  右協定締結に際し、訴外組合は、スト中の組合員にも食堂エレベーター、ロッカー等の使用を認めるよう要求したが、被告はストライキに便宜を与えることはないと右要求を拒否したため、食堂等の施設は、施設協定三条所定の争議中に利用できる施設としては規定されなかつた。

なお当時の従業員数は七七〇名で右食堂では一日二三〇食(昼食一五〇食)の利用状況であつた。

(三)  ところが、原告は、四月一日指名スト中であるにもかかわらず右食堂に入り食事をした(このことは当事者間に争いがない。)。

折から同所にいた被告常務取締役安藤春夫は原告に対し前記施設協定違反であるから直ちに退去するよう注意警告したが、原告は右注意を無視し、そのまま食事を続け退去しなかつた。

(四)  さらに、同月三日指名スト中の原告および訴外遠藤は右食堂に立入り食事をした(このことは当事者間に争いがない。)。

折から同所にいた被告人事部勤労課長田沼良一が原告らに対し、「スト中の者がここに立入ることは施設協定違反である。即刻退出するように」と注意したところ、原告らは「会社は施設協定を拡張解釈している。」等と抗議し、そのまま食事を続け退去しなかつた。〈証拠判断省略〉

九、(被告およびテレビジョン局営業部の特殊性)

〈証拠〉によれば次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  被告は、放送法、電波法の規制を受ける民間放送会社であるため、政治的中立性の保持、その他公正な報道機関として事業活動を行なう責務を負つている。

(二)  被告は、広告媒体である放送電波を商品として販売し、この販売収入を唯一の財源としている。

右放送電波の商品としての媒体価値は新聞における発行部数の如き明確な判断基準がないため一般大衆の当刻放送局に対して下す心情的評価(一般的ステーションイメージ)や当該放送局の有する人的物的な生産能力、営業能力や視聴率の総和を以つて構成されるが、これが広告業界において定評を得るに従つて、その放送会社の信用(営業上のステーションイメージ)を形成する。

放送会社とスポンサー、代理店との取引は右の如き営業上のステーションイメージを中心とした信頼関係に基づき行われており、信頼関係の如何が取引の成否に関係してくる。

(三)  ところで、原告が本件配転により配転されたテレビジョン局営業部は、テレビの番組、スポット等を販売する業務を分掌しており、被告の収入源を支える重要部門であり、顧客等外部に対して被告を代表して接触し、取引を行つている。

従つて営業部員は、前記信頼関係を維持増進するため顧客に対する折衝等について遺漏のあることは許されず、営業部員の服務規律は厳正に保持されるべきものとされていた。

一〇、(本件解雇事由となつた原告の各行為に対する評価)

そこで、以上に説示した被告における労使関係の推移、昭和四〇年四月一日付配転の経緯、被出業務の特殊性を勘按のうえ原告の各行為をいかに評価すべきかについて考察を進める。

(一)  リボン、腕章および重鉢巻闘争関係

(1)  先に詳細に説示したとおり、原告は訴外組合の指令に基づいて被告がした本件配転等に対する抗議のためのいわゆる服装闘争として勤務時間中にリボン、腕章、鉢巻等を着用したのであるからこれらの着用は就業時間内の組合活動としてなされたものであることは明らかであり、争議行為として、ないしはスト中の附随的争議手段としてなされたものではない。

ところで〈証拠〉によれば、昭和三八年四月一日締結の労働協約三一条は原則として就業時間中の組合活動を禁止し、一定の除外例を規定していたが、右労働協約失効後においては被告は就業時間中の組合活動を一切認めない旨表明していたこと前記のとおりである。

一般に労働者は、就業時間中は使用者の指揮命令に従つて労務提供の義務を負つているのであるから、右義務と矛盾牴触する組合活動をなすことは許されず、使用者は、このような組合活動を業務命令を以つて禁止できることは多言を要しない。

そして労働提供義務に矛盾牴触する組合活動とは労務提供それ自体の不履行を必然的に随伴する場合(就業時間中の職場集会等)のみではなく、完全な労務の提供を阻害し、あるいは阻害するおそれがあり、ひいて、使用者の業務の正常な運営を阻害するおそれがあるときをも包含すると解するのが相当である。

これを本件のような就業時間中の服装闘争についていえば、右闘争が労務提供義務と矛盾牴触するか否かは、当該服装(リボン等)の大小、色彩、表現、内容、着用目的や使用者の業種、着用者の職種、勤務場所等の諸般の事情を考慮して決せらるべきである。

(2)  以上の見地に従つて本件をみるに、被告の着用したリボン、腕章、鉢巻の大小、色彩、表現内容等は先に説示したとおりであり被告業種、原告の職種、勤務場所、着用の態様も先に詳細に説示したとおりである。

そこで考えるに、被告の業種の特殊性と原告の勤務する職場が、テレビの番組スポット等を販売する営業部であり営業部員は日常スポンサー、代理店等と社内又は社外において直接面談等をしてセールス活動に従事しているのであるから少くともこれら顧客と面談等をするときは、前記のようなリボンといえども、顧客に対し違和感を生ぜしめ顧客に対する不快感を招き業務の円滑な遂行に支障となるか、ないしそのおそれが大であると考えられる。

現に、リボンを着用して拶挨廻りに行つた原告は、一顧客から右リボンにつき非難され、原告と同行していた高橋部長はその日予定していた他の代理店に対する原告の拶挨廻りを中止し、原告は営業部員としての正常な業務を果せなかつたのである。

従つて四月六日の拶挨廻りにおける原告のリボン着用行為は、営業部員としての労務提供義務に牴触し、違法な組合活動と解さざるを得ない。原告の社内における腕章着用行為も顧客が常時商談のため営業部に出入していることからすれば、これら顧客に対し不快感を招き、業務の円滑な遂行に支障となるおそれが大であると考えられるから、同様に、違法な組合活動と評すべきである。

赤鉢巻については、先に詳細に説示した着用の具体的態様、経緯からすれば、営業部員としての安全な労務の提供を阻害し、ひいて被告の正常な業務の運営を阻害し、又は阻害するおそれの著しい服装(顧客に対し不快感、反発感を与える最たるもの)というべく、もとより違法な組合活動と評すべきである。

このことは、顧客からの幾多の口頭、電話、文書等により被告に寄せられた抗議からしても明白である。

従つて先に認定した六月八日付の代表者名を以つてなされた被告の告示ないしその具体的基準について被告の決定した方針は正当というべきであつて、原告に対し、被告はリボン、鉢巻等の取りはずしを業務命令をもつて適法に命令しうるものであり、原告が右命令に従わないでリボン、鉢巻等を着用しつづけた行為は、業務命令違反というべきである。

なお、原告のこれら着用が組合指令によるものであつても当然には違法性を阻却しないことは多言を要しない。

なお、付言すれば、服装闘争の目的である団結権の示威は使用者に対しなしてこそ意味があり、労使関係に何らのかかわり合いを有しない顧客に対しこれをなしても何んの意味もないのであつて、顧客の感ずる不快感、嫌悪感は、原告が主張するように団結の示威に対するそれではなく、団結の示威が労使関係と無関係な、しかも有形無形のサービスを受けてしかるべき顧客に対しなされているという困惑感に根ざすものと考うべきである。

以上の説示に反する原告の主張は採用できない。

(二)  (名誉毀損関係)

高橋部長が六月九日原告に対し赤鉢巻を取るよう命じたのに対し、原告は、右発言をメモし、同部長に署名を求めたところこれを拒否されたため、「不当労働行為罪状証明」と題する前記記載の文書を作成し、これを自己の業務机のガラス板の下に置き、これが多数の来訪者の目に触れたことは先に詳細に認定したとおりである。

そして高橋部長の赤鉢巻を取るようにとの業務命令は正当な業務命令である以上これが不当労働行為に該当するいわれは存しない。ところが、右文書は、その表題と相まつて、これを読む人に高橋部長が悪質な不当労働行為をしたとの印象を与える可能性が大であるから、右文書は高橋部長の名誉信用を毀損するものといわなければならない。

従つて、原告の行為は、到底正当な組合活動といえないこと明らかである。

右に反する原告の主張は採用できない。

(三)  (無許可施設利用関係)

前記施設協定は、争議行為中の組合員のステイ・イン(職場滞留)の場所をあらかじめ限定し、それ以外の会社施設への立入を禁止し、以つて争議中における会社施設利用をめぐる紛争を未然に防止せんとの目的で締結されたものであり、右協定にいう争議行為には指命ストが除外されていない以上、指名ストもこれに含まれると解すべきである。

そして右協定によれば、食堂は争議中組合がステイ・インできる施設の中に含まれていないのであり、原告が指名スト中二回に亘り右食堂に立入り食事をしたことは前記のとおりであるから、原告の右行為は形式的には右施設協定に違反し許可なく会社施設に立入つたものというべきである。

しかし、原告の右行為はスト中のステイ・インとしてなされたのではなく、一従業員として食事をするために立入つた食堂利用行為が妨げられたとか、実質的に被告の施設管理権が侵害され、被告の業務を阻害したことを認めるに足る証拠が存しない以上、原告の右各行為は、施設協定に形式的に牴触するにもせよ、なお被告において受忍しなければならない程度のものというべきであるから、業務命令違反等の罪責は負わないというべきである。

右説示に反する被告の主張は採用できない。

一一、(本件解雇の効力についての総合的考察)

(一)  〈証拠〉によれば、被告の職員就業規則四条は「職員はその職務について上長の指揮命令に従い通達を守り、上長は所属職員の人格を重んじ、互に協力してその職責を遂行しなければならない」旨、同五条一〇号は、「職員は体面を汚す行為をしてはならない」旨それぞれ規定し、同六八条は懲戒処分事由として1号は「この就業規則中の守らなければならない各条項を守守らないとき」2号は「当然なすべき職責を怠つたとき、または業務上の命令を怠つたとき」5号は「故意または過失により会社に重大な損害を与えたとき」と規定し、また同七〇条は懲戒処分として戒告、譴責、減給、職分変更(降格)出勤停止(一五日以内)および懲戒解雇を規定していることが認められる。

そして先に認定した事実によれば、本件解雇理由となつた原告リボン、腕章、赤鉢巻着用による就業時間内の組合活動および高橋部長に対する名誉毀損行為は右就業規則四条、五条一〇号、六八条12号に違反し、業務上の命令を怠つたものとして懲戒事由に該当するというべきである。

(二)  しかし原告の右行為のうち、リボン、腕章の着用行為は、原告が営業部員であることを考慮においても、これによつて被告の正常な業務運営を著しく阻害し、被告の職場秩序を著しく乱したとは認められないから、懲戒解雇に価する程悪質な行為と評価することは困難である。

(三)  そこで原告の赤鉢巻着用行為について考えるに、

先に認定したとおり、原告は営業部員でありながら、社内外を問わず赤鉢巻を着用し、着用をやめるようにとの再三に亘る上司の業務命令に従わず、取引先への書類通達にも着用し、その結果被告の主要な取引先から幾多の非難、抗議が被告に対しなされたのであるから、原告の右行為は被告の正常な業務の運営を阻害する行為であり、業務命令違反の罪責は相当に重いというべきである。

然しながら、

(1)  右赤鉢巻着用は、訴外組合が、昭和四〇年四月一日付配転、特に原告、訴外遠藤、同広田の配転を組織攻撃なりとする判断の下に、右配転の延期、撤回ないし事前協議制の確立を求めて、被告に対し団交を要求し、団交を拒否されやむなく訴外組合が抗議手段として案出した重鉢巻闘争指令に基づくものであり、右指令は闘争委員会の方針というよりも、職闘会議の強い要求により、いわば全組合員の総意により採用が決定されたものであること、および本件配転や訴外遠藤、同広田の配転が、訴外組合に対する組織攻撃であると訴外組合が考えたについては、無理からぬ理由が存することは先に詳細に説示したとおりであつて、被告のこれら組合活動家に対する配転の強行ないしかたくなな団交拒否が、右重鉢巻闘争指令を誘発する一因となつていることは否定できない。

(2)  原告の赤鉢巻着用が営業部員として許されないものであり、被告の業務の正常な運営を阻害するものである以上、被告は、業務命令を以つてその撤去を命じうる筋合であるが、原告は組合指令を理由に社内において赤鉢巻着用を続けていたのである。このような原告に対して被告はいかなる理由に基づいて重要な取引先に書類逓送を命じたのであろうか。

原告は、それは被告が処分事由を創出するために命じたのであると主張するけれども、右主張を維持するに足りる証拠は存しない。

しかし、〈証拠〉と、先に認定した原告の書類逓送の経緯を併せ考えると被告が原告に対し取引先へ書類の逓送を命じたのは、原告が赤鉢巻着用のまま取引先へ赴けば、取引先から赤鉢巻についての非難、苦情が出て、原告としては、赤鉢巻を取り外さざるを得ないであろうという計算の下に、いわば鉢巻撤去の義務命令を貫徹し、その実効性を保持しようという意図の下になされたことが容易に看取できる。

しかし社内において赤鉢巻着用を続けている原告に対しては前記代表者の告示どおりそのこと自体をとらえて就業規則所定の制裁を課せば、職場の秩序は保たれ、業務命令の実効性は保持できる筈であり、被告が右のような意図に基づき原告に対し書類逓送を命じたことは、決して妥当な措置といえないばかりでなく、結果としては、平地に波瀾を巻き起こすことにもなつたのである。

してみると、原告の赤鉢巻着用に対する取引先の非難、抗議の責任の一半は被告にも存するというべきである。

(3)  被告は原告の赤鉢巻着用により二、〇〇〇万円余の減収、陳謝のための多額の出張費の出捐を余儀なくされたと主張し、〈証拠〉によれば被告の昭和四〇年九月期決算において前期(三月)に比べ二、二〇〇万円の減収があつたことは認められる。しかし、右減収が原告の右行為により生じたことおよび被告が多額の出張費の出捐を余儀なくされたことを認めるに足りる的確な証拠が存しない。

以上(1)ないし(3)からすれば、原告の赤鉢巻着用行為もいまだもつて懲戒解雇に値する程悪質な行為と評価することは困難である。

(四)  原告の「不当労働行為罪状証明」なる文書の作成発表は、組合指令に基づくものではないが、メモ活動は前年の闘争方針であつたのであり、当時訴外組合が被告の代表者告示や職制のリボン等取りはずし命令に対し不当労働行為である旨強く抗議していたため、原告の右行為も一応訴外組合の右意向に従つてなされたものであると推測できるし、また右文書の表現自体は穏当ではないが、原告は単に文書を自己の机の上のガラス板の下に挿入したのみで対内的発表にとどまつており、ビラ等による対外的発表は行われておらず、高橋部長の名誉を毀損する危険性は少なく、他方右部長および被告は右事実を了知しながら特別の措置をとらずそのまま放置させていたのである。

被告は、右文書の作成は組合指令に基づくことなく原告が専ら高橋部長に対する私怨を公にしたものであると主張するが前記認定事実に照らし理由のないこと明らかである。

してみると原告の右行為も懲戒解雇に価する程悪質なものとはいえない。

(五)  これを要するに、原告のリボン等の着用行為、「不当労働行為罪状証明」なる文書の作成、発表行為はいずれも違法であり、就業規則所定の懲戒事由には該当するが、被告の業務の運営を著しく阻害し、職場秩序を乱し、ひいて被告の信用を失墜させる等被告に重大な損害を与えたものとは認められないから、いまだもつて、懲戒解雇に価する程極めて悪質な行為とはいえない。

しかも被告の職員就業規則六九条には、前記のとおり懲戒処分として解雇に至るまで六段階の定めがあり本件懲戒解雇は原告に対し極めて苛酷な処分であつて、客観的妥当性を欠き、被告の有する裁量権の範囲を著しく逸脱し、解雇権を着用したものとしてその余の点を判断するでまでもなく無効というべきである。右説示に反する被告の主張は採用できない。

一二、従つて、原・被告間には依然として雇用契約が存在し雇用契約上の権利を有するところ、原告本人尋問の結果によれば、被告は原告の右権利を否定し、原告の就労を拒否していることが認められる。

従つて、原告は、民法五三六条二項本文により被告に対し、本件解雇後である昭和四〇年七月一五日以降の賃金請求権を有するところ、原告が、被告の従業員としての地位を有するとした場合昭和四五年九月以降の家族手当一名分の増額および右増額に伴なうその後の賃金増額分、一時金の部分を除き、賃金等の額については当事者間に争いがない。

原告は、昭和四五年九月に母が満六〇歳となり原告の扶養家族となつたとして同月以降の家族手当を請求し、被告はこれを争うので考えるに、〈証拠〉によれば、被告の昭和四三年四月一日施行の職員就業規則七二条二号(改正前の昭和三七年二月一日施行の職員就業規則七四条二号)は、父母が扶養家族になるため要の件として「職員に扶養の義務がありしかも収入の途のない満六〇才以上の父母」と規定していることが認められ、また〈証拠〉によれば、被告は、前記職員就業規則七二条二号にいう「収入の途のない」とは所得税法上の扶養控除対象者の最高所得額以下のものをいい、職員の父母のいずれかが右最高所得額以上の所得を有する場合その者は他の一人をも扶養する能力があるものとみて父母のいずれにも家族手当を支給しない取扱いをしており、右取扱いは、家族手当の賃金体系上の性質に照らして合理的であると認められる。そして税法上の右最高所得額は昭和四五、四六年が一〇万円であり、昭和四七年が一五万円であり、他方原告の父加藤清一の所得は昭和四四年が二七四、〇〇〇円、昭和四五年が三一〇、〇〇〇円、昭和四六年が三二〇、〇〇〇円であることが認められる。

従つて、被告の家族手当の右支給基準に照らすと原告の母は右基準に合致しないこと明らかであるからその余の事実を判断するまでもなく原告の昭和四五年九月以降の母の分の家族手当請求および右手当増額に伴う賃金、一時金の請求はいずれも理由がない。

従つて、昭和四五年九月以降の原告の賃金および一時金の額は別表(1)、(2)被告の認否欄の各該当欄記載の各金額であることが明らかである。

一三、よつて原告の本請求中、原告が被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認し、被告は原告に対し金九、四六八、九七七円および内金二六一七、三八二円に対し訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四三年一月二三日から、内金六八五一、五九五円に対し、昭和四七年五月一〇日受付請求の趣旨並に原因変更の申立書(二)送達の翌日であること記録上明らかな同月一一日からそれぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるので、これを認容し、その余は理由がないので棄却することとし、仮執行の宣言につき民訴法一九六条、訴訟費用の負担につき同法九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(松本武 淵上勤 植村立郎)

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